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【大人の遠足】茨城「旧日立鉱山の大煙突」 煙害対策に苦心 社運かけ建設

 被害範囲と補償額の拡大に歯止めがかからなかった大正3年、日立鉱山創業者の久原房之助が大煙突建設を提案する。煙を高層気流に乗せて拡散するという当時の常識に反する逆転の発想で、地元住民からは賛否両論が渦巻いた。

 それでも、付近の山などで行った高層気象の観測や風洞実験のデータなどから久原は建設を決断。失敗すれば企業経営が危ぶまれる一大事業だったが、被害を約9割減らすことに成功。煙害と地元住民に向き合い続けた久原たちがつくった大煙突は、企業と自然環境、地域住民の共存共栄の象徴として長く親しまれることとなった。

倒壊後もシンボル

 昭和47年に役割を終えた後も大煙突は日立市のシンボルとしてそびえ立っていた。だが、平成5年2月19日、大煙突は何の前触れもなく、根元部分を残して倒壊した。目撃した人によると、「わずかな時間にゆったりと倒れた。一瞬とても厳かな感じがした」という。現在は修復された高さ約54メートルの煙突が残り、建設当時の精神を伝えている。

 昨年には、大煙突建設をめぐる人間模様を描いた新田次郎の小説「ある町の高い煙突」の映画化が決定した。来春の全国上映に向けて制作が続いている。新田はあとがきで、この小説を書くように勧めたのは、日立市天気相談所の所長を務めていた山口秀男だったと明かしている。公明党の山口那津男代表の父親だ。

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