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【昭和天皇の87年】宿命の母子別離 皇子の養育は薩摩藩士に託された

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 こうして裕仁親王の養育は川村に託されることになった。ただ、気丈な性格で知られる節子皇太子妃は、複雑な思いを隠しきれなかったようだ。

 節子皇太子妃は出産後、宮内省が雇い入れた乳母に頼らず、自ら母乳で裕仁親王を育てていた。腕の中で、日ごとに体重を増していくわが子に、愛情が高まらないはずがない。

 「(皇太子妃の裕仁親王への)御慈しみも一入(ひとしお)御深くあらせられ候ことなれば、御養育主任のかたへ御委任遊ばさるゝよりも、却つて東宮御所内なる妃殿下の御許にて御育て申し上(たてまつ)る方然るべくやとの御詮議も内々あらせらるゝ」と、5月12日の東京日日新聞が伝えている。

 わが子を手ばなしたくないという思いが周囲に漏れ、この記事につながったのだろう。

× × ×

 天空に再会の星が輝く七夕の7月7日、生後70日の裕仁親王は《東宮御所正殿において皇太子・同妃に御拝顔の後、(午前)九時馬車にて御出門、市民奉迎のなか麻布区飯倉狸穴町の枢密顧問官伯爵川村純義邸に御移転になる》(1巻13頁)。

 この別離が、のちの母子関係に少なからぬ軋轢(あつれき)を生むようになるのだが、それは後述する。

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