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【昭和天皇の87年】お世継ぎ誕生!「皇室万歳の声は大帝国の山河に反響せり」

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 祝賀の歓声は、くしくも端午の節句と重なった命名式で、最高潮に達した。

 5月5日《御誕生第七日につき、御命名式が執り行われ、天皇より御名を裕仁(ひろひと)、御称号を迪宮(みちのみや)と賜わり、宮内大臣名をもって官報に告示される。(中略)親王のお印は皇太子妃の御選定により「若竹」と定められる》(1巻8~9頁)

 親王の名前には裕仁、雍仁(やすひと)、穆仁(あつひと)の3つの候補が、称号には迪宮、謙宮の2つの候補があった。その中から選んで決めたのは、明治天皇である。

 古来、親王の名前は儒教の経典に由来することが多く、裕仁の裕は易経に「益徳之裕也」〈益は徳の裕なり〉、詩経に「此令兄弟綽々有裕」〈此(こ)の令(よ)き兄弟、綽々(しゃくしゃく)として裕あり〉などがある。迪宮の迪は書経の「恵迪吉従逆凶」〈迪(みち)に恵(したが)えば吉にして、逆に従えば凶なり〉などから採られた。

× × ×

 明治天皇は5日午前10時、親王の名前と称号を自ら大高檀紙(厚手の高級和紙)に記して柳筥(やないばこ=柳の細枝を編んだ箱)に納め、侍従長を勅使として東宮御所の嘉仁皇太子のもとに届けさせた。

 この時、皇居の桜田門内から陸軍砲兵隊による101発の祝砲が轟(とどろ)き、品川沖では満艦飾に彩られた海軍軍艦が21発の皇礼砲を響かせ、東京・日比谷公園では百数十発の花火が打ち上げられた。

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