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【大人の遠足】埼玉・飯能市「能仁寺」 明治維新の激戦地を歩く

 なぜ飯能を目指したのか-。飯能市立博物館館長の尾崎泰弘さんは「想像だが、成一郎にとって行ったことのある飯能ならば土地勘があるし、(能仁寺の)背後は山があって逃げることもできると考えたのではないか」と推測する。

 一方、筑後や大村など九州各藩を中心とした混成部隊の新政府軍は、上野で彰義隊を退けた後、敗残兵を追撃するため飯能に進軍。振武軍は飯能到着から5日後、新政府軍を迎え撃つが、新政府軍の中には川越藩も参戦、今でいえば埼玉県民同士が争う事態になった。

 勝敗は短時間で決し、振武軍は敗走した。尾崎さんによると、両軍の兵力に大差はなかったようだが、「鳥羽・伏見をはじめ歴戦のプロ集団の新政府軍に対し、振武軍は寄せ集め。熟練度の違いは歴然」。残ったのは焼け野原になった飯能の市街地だった。

 室町時代に建立された能仁寺のほか、周辺の寺も焼失した。古文書によると、振武軍に協力した飯能の人たちの土蔵などにも報復を理由に大砲が撃ち込まれたという。あちこちに撃ち込まれた当時の大砲の実弾が博物館に展示されている。

 その実弾1発を収めた「大砲玉箱」の裏面には、「大砲の玉や小銃の玉が茶の間に落ちてきて怖かった。家族とともに逃げた」と記されている。

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