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【大人の遠足】埼玉・飯能市「能仁寺」 明治維新の激戦地を歩く

飯能戦争で焼失し、再建された能仁寺本堂=埼玉県飯能市
飯能戦争で焼失し、再建された能仁寺本堂=埼玉県飯能市
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 今の季節は新緑が映え、秋は見事な紅葉を楽しむことができる。埼玉県飯能市にある曹洞宗の「能仁寺」は今でこそ静寂に包まれているが、かつては戦火にまみれた戦跡でもある。

 時は明治維新期の慶応4(1868)年5月23日-。その年の1月に勃発した鳥羽・伏見の戦いに端を発した戊辰戦争は、現在の埼玉県南部にある狭山、飯能両市に主戦場を移し、旧江戸幕府軍と明治新政府軍が衝突した。世に言う「飯能戦争」の火蓋が切られたのだ。

 旧幕府軍は「日本の資本主義の父」として知られる渋沢栄一のいとこの成一郎率いる「振武軍」が中心で、拠地を能仁寺に構えた。ちなみに、栄一は徳川家の随行として欧州に渡航しており、不在だった。

 振武軍は飯能戦争前の慶応4年4月、東京・上野の寛永寺に立てこもり、新政府軍に抵抗した「彰義隊」とたもとを分かった経緯がある。江戸を離れると青梅街道を下り、田無村(現在の西東京市)を経て飯能にたどりついたのは同年5月18日。振武軍の兵力は定かでないが、上野総攻撃での敗残兵が合流し、1500人ほどに膨らんでいたという古文書もある。

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