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【昭和天皇の87年】クーデターを防いだ阿南陸相の切腹 決起将校も次々と自決した

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 東部軍管区司令官の田中静壱(しずいち)が自ら鎮圧に乗り出したのは、夜が白々と明けた頃だった。午前5時過ぎ、近衛歩兵第1連隊に車で乗りつけた田中は、クーデター計画に関与した石原貞吉少佐を憲兵隊に拘束させると、決起将校らの直属の上官だった近衛歩兵第2連隊長の芳賀豊次郎に対し、「当面は俺自身が近衛師団の指揮をとる。貴官は直ちに現態勢を解除して原態勢に復帰させ、守衛任務を遂行せよ。お詫び言上のため(皇居の)御文庫へ伺候したいので案内せよ」と命じた。

× × ×

 一方、首謀者の畑中健二少佐は最後の手段として、クーデター部隊の一部が占拠した東京・内幸町の放送会館に乗り込み、日本放送協会(NHK)報道部の柳沢恭雄副部長に拳銃を突きつけた。

 「決起の趣旨を訴えたい。放送させよ。さもなければ撃つ」

 だが、柳沢は無言のまま動かなかった。

 ここに畑中も決起の終末を知る。

 午前7時、畑中は近衛師団の宮城内守衛隊司令官室に行き、自ら殺害した森赳師団長に宛てた遺書を芳賀に提出した。

 森閣下 霊前ニ

 陛下ノ為 誠ニ申シ訳ナキ コトヲ致シマシタ トウカ オ許シ下サイ アノ世テ 必ス 御詫ヒイタシマス

 畑中が自決したのは午前11時過ぎ、皇居前の芝生の上で腹を切り、森を撃った拳銃で自らの頭を撃ち抜いた。同じ場所で首謀者の一人、椎崎二郎中佐も軍刀を腹に突き刺し、拳銃で自決した。

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