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【正論5月号】シベリア出兵の美しき真実 ポーランド人を救った日本人 ジャーナリスト 井上和彦

井上和彦氏
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※この記事は、月刊「正論5月号」から転載しました。ご購入はこちらへ。

日本は本当の友人

 「ポーランドには、“苦しい時に本当の友人がわかる”という諺があります。まさにこれはポーランドと日本の関係を表しています」

 平成30年1月30日、都内ホテルのレセプション。私が日本による“シベリアのポーランド孤児救出”の話を持ち出すと、ポーランド共和国外務副大臣ヤン・ジェジチャク氏は真剣な表情でこう応えた。

 シベリアのポーランド孤児救出-日本ではほとんど知られていない近現代史の秘話は、ちょうど100年前の1918年(大正7)から始まった「シベリア出兵」最中の出来事だった。なぜシベリアにポーランド人がいたのだろうか。

 ポーランドは、ロシア・ドイツ・オーストリアという強大な隣国に分割され続け、ナポレオン戦争後のウィーン会議(1814-15年)で形式上独立するも、ロシア皇帝が君臨するという実質上のロシア領であり続けた。

 だがポーランド人は屈しなかった。

 19世紀、ポーランド人は真の独立を勝ち取るべく二度にわたって帝政ロシアに対して独立戦争を挑む。だが蜂起は鎮圧され、さらに蜂起に立ち上がった多くのポーランド人は政治犯としてシベリアに強制的に送られたのだった。

 その後、第一次世界大戦で戦場となったポーランドの人々がシベリアに逃れ、シベリアのポーランド人は15万人から20万人に膨れ上がったという。そんな最中の1917年にロシア革命が起きた。そして翌年1918年に第一次世界大戦が終結してようやくポーランドは独立を回復する。

 だがシベリアのポーランド人は、ロシア内戦で祖国への帰還が困難となり、それどころか生活は困窮を極め、餓死者などが続出したのだった。

 そんな同胞の惨状を知ったウラジオストク在住のポーランド人が彼らを救済するため「ポーランド救済委員会」を立ち上げた。そして彼らは、せめて子供達だけでも救って祖国へ帰してやりたいと駆けずり回った。だがそんな訴えも各国を動かすことができなかったのである。

 もはや万策尽きたか-いや、シベリアには精強無比なる日本軍がいた。ポーランド救済委員会はただちに日本政府にSOSを送ったのである。

 1920年6月18日、ポーランド救済委員会を立ち上げた一人アンナ・ビエルキェヴィッチ女史がウラジオストクの日本領事を訪ね、さらに東京との外務省を訪ねその窮状を訴えた。

 その申し入れを受けて日本が動いた-外務省は、日本赤十字社に救済事業を要請するや、7月5日に子供らの救護活動に入ることを決定する。

 原敬内閣、陸軍大臣・田中義一大将、海軍大臣・加藤友三郎も了承。こうして日本政府および日本赤十字と日本軍が、各国が見放したシベリアのポーランド孤児救援に立ち上がったのである。

 ただちに日本陸軍が救援活動に動き出し、救援決定からわずか二週間後の7月20日に56名の児童とポーランド人の付き添い5名を乗せた日本陸軍の輸送船「筑前丸」が第一陣としてウラジオストクの港を出港した。

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