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【昭和天皇の87年】皇族を一斉呼集 天皇の決意はいささかも揺るがなかった

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 開戦以来、皇族が一堂に会するのは初めてだった。東久邇宮(ひがしくにのみや)稔彦王の回顧録によると、皇族は戦時中、「陛下の御耳に雑音を入れないためにというので、拝謁できないことになっていた」という。それだけにこの日、久々に拝した昭和天皇の顔に深い苦悩と非常の決心が刻まれているのを、その場にいた全員が感じ取ったのではないか。

 最長老の梨本宮(なしもとのみや)守正王が、皇族を代表して発言した。

 「私共一同、一致協力して、陛下をおたすけ申し上げます」

 ここに皇族は、一枚岩となった。のちに皇族は終戦の聖旨を各方面軍に徹底させるため、満洲や南方などに飛んでいく。

 一方、宮中が終戦に向けて結束する中、政府は、新たな混乱の谷に突き落とされていた。

 かなめの首相、鈴木貫太郎が揺らぎ始めたのだ-。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

【参考・引用文献】

◯宮内庁編『昭和天皇実録』34巻

◯外務省編『終戦史録』(官公庁資料編纂会)

○東久邇宮稔彦『私の記録』(東方書房)

バーンズ回答 国体護持(天皇の地位の保全)を唯一絶対の条件とし、ポツダム宣言を受諾するとした日本政府に対する連合国の回答。対日強硬派で知られる米国務長官ジェームス・バーンズの書簡として発表されたことから、この名がついた。ポツダム宣言を補足する5つの条項が示されたが、このうち第1項の「天皇は連合軍最高司令官にsubject to(従属)する」と、第4項の「日本の政治形態は日本国民の自由に表明する意思により決定される」との文言が、国体護持の条件を拒絶したとも受け取られ、軍部をはじめとする抗戦派を勢いづかせることになった。

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