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【昭和天皇の87年】軍部を叱責した天皇 かくて最初の聖断は下された

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 一方、外相案に反対であった軍令部総長の豊田副武(そえむ)は、こう書き残している。

 「(昭和天皇から)最後まで本土決戦とか戦争継続とかいうけれども、戦備は一体出来上がっているのかという御詰問があって、陸軍の九十九里浜の新配備兵団の装備が、六月頃には完成するという話だったが一つも出来ていないじゃないかという強い御叱(しか)りもあった。御聖断に対しては何人も奉答する者なく御前会議は十日午前二時半終了して諸事唯(ただ)聖旨を奉じて取り運ぶこととなった」

× × ×

 御前会議後の10日午前3時、臨時閣議開催。聖断に従い、国体護持のみを条件にポツダム宣言の受諾を正式決定する。外務省はただちに電文作成に取りかかり、6時間後の午前9時、中立国のスイスを通じてアメリカと中国に、またスウェーデンを通じてイギリスとソ連に、以下の緊急電報が発せられた。

 「帝国政府は天皇陛下の平和に対する御祈念に基き即時戦争の惨禍を除き平和を招来せんことを欲し左の通り決定せり。帝国政府は対本邦共同宣言(ポツダム宣言)に挙げられたる条件中には天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居らざることの了解の下に右宣言を受諾す……」

 一方、そのころ満洲では、当初の混乱から抜け出した関東軍が、ソ連の大軍を相手に壮絶な防衛戦を繰り広げていた-。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

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