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【昭和天皇の87年】第1回御前会議 形勢を左右した枢密院議長の発言

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 「本日突然のお召しにて何ら腹案もなく出席致しました。しかし状況はきわめて窮迫しておりますがゆえに、私の意見を申し述べます」

 平沼は語気を強めた。

 「外務大臣の趣旨に同意であります」

 これで、外相案への支持表明が平沼、東郷、米内の3人、不支持表明が梅津、豊田、阿南の3人。いよいよ聖断を下す環境が整った。首相の鈴木は、あえて自分の意見を明らかにはせず、最後にこう言った。

 「皆じゅうぶん意見を吐露したものと認めます。しかし意見の一致を見るに至らなかったことは遺憾であります」

 そして静かに席を立つと、昭和天皇の前に進んで深く頭を下げた。

 「外務大臣案によるべきか、または四条件を付する案によるべきか、謹みて御聖断を仰ぎます」-(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)

【参考・引用文献】

◯外務省編『終戦史録』(官公庁資料編纂会)

○池田純久『日本の曲り角 軍閥の悲劇と最後の御前会議』(千城出版)

最高戦争指導会議 政府と軍部のトップが連絡調整を強化し、一元的な戦争指導を行うための会議。日中戦争が勃発した昭和12年、近衛文麿内閣のもとで発足した大本営政府連絡会議を前身とし、先の大戦終盤の19年8月、最高戦争指導会議と改称された。構成員は首相、外相、陸海両相、参謀総長(陸軍)、軍令部総長(海軍)で、戦争指導の根本方針を策定。また、国家の重大事には首相らの要請で天皇が臨席することもあり、その場合は御前会議と呼ばれた。

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