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【矢板明夫の中国点描】北の核開発黙認の中国歴代指導者 自国利益優先、北包囲網の崩壊招く

 北京駅に入る北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長を乗せたとみられる車列=27日(共同)
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 朝鮮戦争最中の1950年12月3日夜、中国の要人居住地、北京の中南海の書斎で、北朝鮮の首相(当時)、金日成(キム・イルソン)と中国の最高指導者、毛沢東が密会していた。

 その3日前の11月30日、米大統領のトルーマンが記者会見で「朝鮮戦争で核兵器使用の可能性を排除しない」と発言し、世界中に大きな衝撃が走った。危機感を覚えた金日成は毛沢東と相談するため、すぐに北京に向かった。

 中国人民志願軍が同年10月に朝鮮戦争に参戦した。人海戦術などで連合国軍を翻弄し、戦局はかなり中朝側に有利な形に進められていた。しかし、連合国軍が核兵器を使用すれば、情勢が一気に逆転される可能性があった。

 中国当局が公開した外交資料によると、その日に行われた中朝首脳会談で、毛はトルーマン発言について「恫喝(どうかつ)である」と分析した。その理由として「ソ連がすでに核兵器の技術を持っている。トルーマンは核戦争をする気がないはずだ」と話した。

 当時の中国も北朝鮮も核兵器を所有していなかった。米国に対抗するすべを持っていないため、第三国のソ連の核抑止力に期待を寄せざるをえなかったのだ。悔しい思いをした毛沢東も金日成も、核兵器を手に入れたいと決心したに違いない。

 毛沢東は朝鮮戦争中から国内に対し「核兵器を作れ」と大号令をかけ、中国は1964年に核実験に成功し核保有国の仲間入りを果たした。北朝鮮も90年代から核開発に本腰を入れた。国際社会から厳しい制裁を受けるなか核実験を繰り返し、完成まであと少しまでのところに来たといわれている。

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