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【赤字のお仕事】取材後記(4)明治人の格闘~日本語の大規模な更新

箕作麟祥が編纂した「万国新史」。明治人たちが翻訳から新しい言葉を創造した軌跡でもある。最終18巻(左側)には出版人市川清流の名が記載されている=国立国会図書館デジタルコレクションから
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 今年は「明治150年」だ。政府が内閣官房に関連施策推進室を設けホームページを開設するなど、官民で“明治の精神”を再認識しようという動きが活発である。

 私事で恐縮だが、4歳だった昭和43(1968)年は「明治百年」の記念式典が開かれた。当時江戸時代生まれと認められた人が存命していて、中学生で歴史に興味を持ち始めたとき--遠くはない--妙な親近感を幕末・明治期に抱いたものである。

 明治40年代の生まれだった大伯母は長寿な人で、私が20代後半のときに亡くなった。新聞記者になって随分と喜んでくれた記憶がある。日々の仕事に追われながらも、帰省して顔を見せるたび「今度昔の話を聞かせて」と何度もお願いした。大伯母はその度に快諾してくれたが結局「取材らしい取材」もできず、年を重ねた今“明治の雫(しずく)”すら感じられない後悔が胸の奥に残っている。

 「赤字のお仕事」で連載した市川清流は、言葉の分野で幕末・明治を駆けた人だった。幕末期は幕府開成所の筆記方で、洋学者たちが翻訳した新聞や地理書、戦術書などの文章を校正・校閲していた。江戸後期の校正がどのような作業だったのかは、この連載の「『校正本』が問う人生」(平成24年12月29日掲載)で紹介した。

 明治初期の校正・校閲も江戸期とほぼ変わらない。翻訳者が訳した文章を一般的な硬い字(楷書体)に筆写する。その後、当時の資料を駆使して、訳された人名が正しいか考証したり地名を確認したりするなど校閲を施す。ある程度体裁が整うと、翻訳者や編集者らと文意に適した漢字や表現を調整したり、表記の統一などを図ったりした。これを数回繰り返して文章をまとめていく。

 幕府瓦解(がかい)後、明治政府入りした清流は文部省の写字生となった。公文書や書史などを正式な政府の文章として書き写す仕事で、この時期については、連載の「新政府(1)新たな舞台と公文書の“御一新”」(平成27年6月14日掲載)に記した。

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