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【正論4月号】意外?実は徴兵制国家は世界の趨勢  評論家 八幡和郎

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 革命のバックボーンとなった啓蒙主義は、始皇帝によって創始された古代中国の制度にも影響された。これらは多分にイエズス会の宣教師たちによって理想化されて紹介された。地方制度や官僚制度などはその典型。始皇帝の郡県制をもとに、フランスは県と郡を基調とした地方制度をつくり、近代日本もそれを採用した。試験による官僚の採用は科挙をならったものだ。そして、徴兵制もそう。

 ヨーロッパの封建制は、古代ローマにおいて市民階級が義務とされていた軍務につくことを嫌がるようになり、ゲルマン民族の傭兵に頼るようになったものの、庇を貸して母屋を乗っ取られた結果、彼らが支配者になったことに端を発する。武装した貴族が武力を独占し、土地や人民を私有物化、必要があれば傭兵を雇った。また、戦闘の目的はしばしば、相手を捕虜にして身代金を稼ぐことにあったため、凄惨な殺し合いにはならないことも少なくなかった。

 ところが、16世紀あたりから武器が近代化され、戦争は防御主体から攻撃型に変わっていった。それが原因であり結果でもあるのだが、近世的な国家が誕生したのである。日本が室町時代の荘園制などを基礎にした緩い支配体制から戦国大名が出現していった時代に移行したのと同様、欧州でも主役は馬に乗った騎士たちから大人数の歩兵になっていく。その必要を満たすため、人口の少ない国では徴兵が始まった。

 スウェーデンはドイツ三十年戦争の際に徴兵制を採用したし、プロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム1世は、他国から屈強な若者を拉致してまで兵隊にした。その息子のフリードリヒ大王は1733年に徴兵制を敷いた。しかし、フランス革命が起きると徴兵のスタイルは一変する。外国からの干渉が強まるや、フランスでは革命防衛の機運が強まり、オーストリアなど連合軍に対しては自ら志願した義勇兵が立ち向かい、ヴァルミーの戦いの勝利を引き寄せた。

 さらに、ルイ16世の処刑やフランス軍のベルギー占領に対し、イギリスを中心とした対仏大同盟が結成されると、フランスの国民公会は1793年2月22日に一般国民から兵士を徴募することを決議、自治体に割りあてた上で抽籤によって兵士を選定した。8月23日には「国民総動員令」で18歳から25歳までの青年男子全員を動員して「国民皆兵」とし、1798年には徴兵制度が確立した。フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」はこのような国民的興奮のなかで生まれた。

 革命政府は国民軍内の体罰や身分差別を撤廃し、兵士たちの待遇を改善、戦闘意欲を高め、身分にかかわらず指揮官を抜擢した。その中からナポレオンら名将が生まれた。兵士たちは個人的な損得ではなく、国家や革命のために貢献することを名誉と考え、死を恐れずに戦った。軍隊は身分を超えた民主的社会の揺籃の場ともなった。

 しかし、こうした兵士たちによる戦争は「巻き込まれる人」を増やし、さらには兵士の調達に限界がないことから容易に収束しないという悲劇も生んだ。そうした悲惨な状況が頂点に達したのが、フランスとドイツという徴兵制先進国同士の戦いになった第一次世界大戦と第二次世界大戦なのである。

各国の最新徴兵事情

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