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【追悼・上田利治さん(上)】常勝・阪急の土台づくりの秘密とは… 監督自ら渡米し選手獲得

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【追悼・上田利治さん(上)】
常勝・阪急の土台づくりの秘密とは… 監督自ら渡米し選手獲得

広島との日本シリーズで初の日本一に輝いた阪急監督の上田利治さん(手前)。名将は当時、38歳の若き指揮官だった=1975年11月2日、西宮球場 広島との日本シリーズで初の日本一に輝いた阪急監督の上田利治さん(手前)。名将は当時、38歳の若き指揮官だった=1975年11月2日、西宮球場

 オリックスの前身に当たる阪急の監督として5度のリーグ優勝を遂げ、1975年から3年連続で日本一に導き、名将とうたわれた上田利治(としはる)さんが7月1日、肺炎のため80歳で亡くなった。上田さんに取材した際、監督に就任したのは40年以上も前のことだが、まるで昨日のことのように鮮明に覚えていた。記憶力の確かさに驚かされたことを思い出す。(運動部 三浦馨)

 上田さんが西本幸雄前監督から阪急の指揮を引き継いだのは、1973年のオフ。まだ36歳の若さだった。監督1年目の74年、前・後期制だったパ・リーグで早くも前期を優勝した。しかし、年間優勝を決めるプレーオフでは後期優勝のロッテに0勝3敗と完敗した。

 「こんなチームじゃ、まだダメだと思った。攻撃型だったが、チームのバランスを考えるともっと守備力を高めたかった。特にセカンドとライトを強化できればと」

 そう考えた上田さんは74年オフ、自ら選手獲得のため渡米する。現在では一般的となったチームの編成に当たるゼネラルマネジャー(GM)の仕事を監督が兼務していたことになる。

 このとき、仲介役となってくれたのが上田さんが広島に選手、コーチとして在籍したとき、同僚だった日系二世の平山智(愛称・フィーバー平山)氏。当時、大リーグ・エンゼルスのスカウトだった。平山氏が紹介してくれた二塁手はボビー・マルカーノ、外野手はバーニー・ウィリアムスだった。

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