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【長男の独白】「吉田清治」はこうして作られた 慰安婦「強制連行」の原点 ジャーナリスト、大高未貴

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【長男の独白】
「吉田清治」はこうして作られた 慰安婦「強制連行」の原点 ジャーナリスト、大高未貴

吉田清治氏が建てた「謝罪碑」(関係者提供) 吉田清治氏が建てた「謝罪碑」(関係者提供)

「応募のほか、ラジオとかテレビのモニターもよくやっていました」

 いまで言う投稿マニアだったのか。

「元動員部長・吉田清治」の始まり

 やがて清治氏はもう一つ、大きな懸賞で佳作となる。

 昭和三八年、『週刊朝日』が「私の八月十五日」の手記を募集し、結果が同誌八月二三日号に掲載された。特選は一名、後に作家、エッセイストとして知られる近藤富枝である。記事には他に入選五名、佳作一〇名の氏名が出ている。その佳作のひとりに吉田東司の名前がある。それは清治氏のことだった。

 入賞作までは全文掲載されているが、佳作は編集者が抜粋しながら紹介している。以下、引用する。

〈特選から佳作に至るまでの各編は、すべて、戦争の被害者としての立場から、八月十五日を想起したものばかりであった。しかしただひとりだけ、下関市の会社員吉田東司氏(四九)は、加害者の立場からあの日を回顧する。

「私はそのころ山口県労務報国会動員部長をしていて、日雇労務者をかり集めては、防空壕掘りや戦災地の復旧作業に送っていた。労務者といっても、そのころはすでに朝鮮人しか残っていなかった。私は警察の特高係とともに、指定の部落を軒なみ尋ねては、働けそうな男を物色していった」

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