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【満州文化物語(48)】東映が継いだ満映の血 カツドウ屋の引き揚げ

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【満州文化物語(48)】
東映が継いだ満映の血 カツドウ屋の引き揚げ

李香蘭 李香蘭

子分を放っておけない

 満映の礎(いしずえ)を築いた根岸とマキノは終戦前に相前後して内地へと戻っていた。

 20年8月9日、ソ連(当時)軍の侵攻によって、それまで戦争の影すらなかった満州の状況は一変する。同20日、満映理事長の甘粕は青酸カリを飲んで自決、撮影所はソ連軍、後には中国共産党軍に接収され、監督の内田や木村らは戦後長く、満州の地に留用されてしまう。運良く、内地へ引き揚げることができた旧満映の映画人もなかなか職は見つからなかった。終戦直後の混乱と満州帰りという「色」を嫌う向きもあった。満映の理事(役員)だった根岸自身もやがて公職追放の処分にあう。

 こうした状況の中で根岸とマキノは「何とかして満州の仲間たちを救いたい」と奔走する。皆、2人を親分と慕って海を渡ったカツドウ屋の子分なのだ。

 岩崎昶はこう書いている。《終戦とともにまず彼(根岸)の頭にひらめいた理念は「満映」の仲間たちのことである…彼らの生命や生活は保障されているか、故国に引き揚げてくることができるのか…》(『根岸寛一』より)

 根岸は、東急の五島(ごとう)慶太に頼み、傘下の東横映画にまずマキノを送り込む。そして、数十人に及ぶ元満映のスタッフを次々と東横映画へ入れていったのである。追放で表立って動けない根岸に代わってマキノが陣頭指揮に立つった。

 最も遅かった内田の帰国は28年。中国共産党下で思想教育を受け、「左」の映画界から寄せられていた期待をよそに内田が復帰第1作に選んだのもまた、東横から看板を替えたマキノによる「東映の時代劇」であった。(敬称略、隔週掲載)(文化部編集委員 喜多由浩)

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