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【満州文化物語(48)】東映が継いだ満映の血 カツドウ屋の引き揚げ

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【満州文化物語(48)】
東映が継いだ満映の血 カツドウ屋の引き揚げ

李香蘭 李香蘭

 映画評論家で、日本映画大学名誉学長の佐藤忠男(86)はこう話す。

 「戦前の現代劇は、松竹大船が『都会的で洗練された』とすれば、(根岸・マキノがいた)日活多摩川は『野暮(やぼ)だけど力強い』。やり手のマキノは『面白い通俗娯楽映画なら任せとけ』とばかりに、多摩川時代のシナリオを中国の話にどんどん替えていった。それを支えたスタッフは京都でチャンバラ映画を作っていたカツドウ屋たちでした」

 そのころ、内地(日本)の映画界は14年に施行された映画法によって国家統制、軍国色が強まっていた。それを嫌ったり、職を失った映画人が新天地・満州を目指す。満映には豊富な予算も貴重品だったフィルムもふんだんにあったからである。甘粕の方針で右も左も問わず、幅広い人材を受け入れた結果、錚々(そうそう)たる顔ぶれが満映の門をくぐる。監督では、内田吐夢(とむ)、木村荘十二(そとじ)、脚本家の八木保太郎、カメラマンの杉山公平、プロデューサーの岩崎昶(あきら)。日本初の女性監督、坂根田鶴子(たづこ)もその1人だ。

 李香蘭は大スターの階段を駆け上っていた。18年に満映・東宝が提携し岩崎が製作した李香蘭主演映画『私の鶯(うぐいす)』(島津保次郎監督、大佛(おさらぎ)次郎原作)はハルビンを舞台にセリフはロシア語、帝政ロシア時代の名オペラ歌手やハルビン響も出演している異色作。「戦時下でこんな作品が撮れるなら」と映画人の渡満をさらに促したという。

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