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【満州文化物語(48)】東映が継いだ満映の血 カツドウ屋の引き揚げ

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【満州文化物語(48)】
東映が継いだ満映の血 カツドウ屋の引き揚げ

李香蘭 李香蘭

娯楽映画なら任せろ

 昭和12年に発足した満映は現地住民の宣撫(せんぶ)工作の一環として映画製作を始めるが、当初のスタッフは素人ばかりだった。第1回作品『壮志燭天』の監督を務めたのは新聞記者出身の坪井与(あたえ)(1909~92年)。後に満映の娯民(劇)映画処長、戦後は東映専務を務めた坪井は『満洲映画協会の回想』(映画史研究19)に書いている。

 《私は学生時代に学生芝居の演出をやったことはあるが、映画の撮影などはまったくの無縁》

 そこで、「プロの映画人」として白羽の矢が立ったのが根岸である。13年6月、満映の製作部門を託された根岸は「片腕」のマキノを連れて満州へ乗り込む。2人は日活やマキノ映画系のスタッフをどんどん満映へと呼び寄せた。14年には満州国の陰の実力者といわれた甘粕正彦(あまかす・まさひこ)がトップの理事長に就任。東洋一の大スタジオも新設され、満映の陣容は充実してゆく。

 「中国人少女」の触れ込みで李香蘭(後の大鷹淑子(おおたか・よしこ))が満映に入ったのも根岸・マキノが渡満した13年である。マキノが、李香蘭の満映デビュー作として用意したのが、日活多摩川時代にヒットした新婚夫婦の喜劇「二人は若い」をそのまま中国語に翻案した『蜜月快車』であった。

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