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【満州文化物語(48)】東映が継いだ満映の血 カツドウ屋の引き揚げ

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【満州文化物語(48)】
東映が継いだ満映の血 カツドウ屋の引き揚げ

李香蘭 李香蘭

 映画会社の「東映」が「満映(満洲映画協会)」と深い縁でつながっていることを知る人も今は少なくなった。東映は昭和26(1951)年4月、東横映画、大泉映画、東京映画配給の3社が合併して発足している。東横映画は戦後、満州から引き揚げてきた映画人の“受け皿”となった会社であり、満州人脈は後身の東映の草創期を支える大きな柱となった。

 松竹、東宝、大映など既存の大手と比べて東映のスタートは、非力で借金まみれであったが、戦後GHQ(連合国軍総司令部)によって禁止されていた時代劇が解禁されると波に乗る。片岡千恵蔵(ちえぞう)と市川右太衛門(うたえもん)の両御大(おんたい)から中村(後に萬屋)錦之助(きんのすけ)、大川橋蔵などの若手スターを起用しヒット作を連発。30年代初めには年間配収の日本記録を樹立し、邦画会社のトップに躍り出た。

 “時代劇の東映”の立役者が製作部長から重役となったマキノ光雄(1909~57年)である。「日本映画の父」牧野省三の次男、兄は任侠(にんきょう)映画などで知られる映画監督の雅弘、俳優の長門裕之、津川雅彦兄弟は甥(おい)。映画人ばかりの一家で育った根っからのカツドウ屋だった。豪放磊落(らいらく)で親分肌。悪くいえば野放図。そのマキノが兄貴分として終生慕ったのが、戦前の日活多摩川時代の上司である大プロデューサー、根岸寛一(1894~1962年)である。人物は実直で教養があり、信望も厚い。映画監督、根岸吉太郎(きちたろう)(66)は親類にあたる。

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