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【満州文化物語(46)】30年続いた「満州時間」 日本に「時差」があったとき

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【満州文化物語(46)】
30年続いた「満州時間」 日本に「時差」があったとき

大正時代の長春駅のポスター、時計には『ハルビン時間』と『満州時間(西部標準時)』の2種類の針が書かれている(中村俊一朗氏提供) 大正時代の長春駅のポスター、時計には『ハルビン時間』と『満州時間(西部標準時)』の2種類の針が書かれている(中村俊一朗氏提供)

「日満一体」で終焉

 満州に話を戻す。昭和6年9月に満州事変が勃発。翌7年3月、関東軍主導で満州国が建国される。日露戦争終焉(しゅうえん)以降、満鉄が教育、土木、衛生行政を担っていた満鉄付属地の行政権も12年、満州国へと委譲されることになった。

 “満州時間”は同年、約30年の歴史に幕を下ろす。「日満一体」のスローガンとともに日本の中央標準時を使うことが決定されたからだ。同じころ、台湾などで使用されていた西部標準時も廃止されている。

 満州の日本人にとって、ひとつの事件だっただろう。渡辺の『満鉄史余話』には《私の長女は標準時改正の当日は吉林の小学校二年に在学していたが、その前日校長先生から、今夜時計を一時間進めること、家にいてそんな経験をするのは一生のうち何度もあることではないのだからよく記憶しておくことと言われた》と記されている。

 この決定によって、内地、満州、朝鮮、台湾は同じ中央標準時を使うこととなり「時差」はなくなった。なぜ、こうした政策は採られたのだろうか。

 昭和12年満洲弘法協会発行の「満洲国現勢」によれば、時差撤廃の目的について、それまでの「西部標準時」では生活の活動開始時間および停止時間が、日の出、日没時間に対して遅すぎる▽電信電話など通信事業従事者に多大な便宜がもたらされる-ことなどが挙げられている。

 ただ、最大の狙いは有事を見据えてのことではなかったか。日露戦争がそうであったように、同じ日本軍が違う時間が戦っていては作戦も立てにくい。

 かくして昭和20年8月15日正午。内地、満州、台湾、朝鮮の日本人は「同じ時刻」に玉音放送を聞き、敗戦に打ちひしがれることとなるのである。

=敬称略、隔週掲載。(文化部編集委員 喜多由浩)

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