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【満州文化物語(46)】30年続いた「満州時間」 日本に「時差」があったとき

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【満州文化物語(46)】
30年続いた「満州時間」 日本に「時差」があったとき

大正時代の長春駅のポスター、時計には『ハルビン時間』と『満州時間(西部標準時)』の2種類の針が書かれている(中村俊一朗氏提供) 大正時代の長春駅のポスター、時計には『ハルビン時間』と『満州時間(西部標準時)』の2種類の針が書かれている(中村俊一朗氏提供)

 このため、満鉄線との乗換駅である長春駅の時計は、黒針で満鉄が使う西部標準時(明治40年以降)、赤針でロシアのハルビン時間が表示され、乗り換え客は自分の時計の針を調節するというややこしいことになった。

 満州内鉄道の、この時差は昭和10年、杉原千畝(ちうね)らの活躍によって、満州国がソ連から同線を買収、満鉄に運営を委託する直前に解消されている。

 満鉄線との直通列車が運行されていた日本統治時代の朝鮮の時間も少々複雑だ。日韓併合前には、127・5度線を基準とする標準時(日本の中央標準時との時差は30分)が使われていたが、明治45年1月1日から日本の中央標準時を採用した。これは満鉄が使う西部標準時とは1時間の差があるから、国境の安東駅で乗客は時計の針を1時間進めたという。

 また、第一次大戦後、日本の信託統治領となった南洋諸島(パラオなど)では、中央標準時とは1~2時間の時差がある南洋諸島東部・中部・西部(後に東部・西部)標準時が使用されていた。

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