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【満州文化物語(46)】30年続いた「満州時間」 日本に「時差」があったとき

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【満州文化物語(46)】
30年続いた「満州時間」 日本に「時差」があったとき

大正時代の長春駅のポスター、時計には『ハルビン時間』と『満州時間(西部標準時)』の2種類の針が書かれている(中村俊一朗氏提供) 大正時代の長春駅のポスター、時計には『ハルビン時間』と『満州時間(西部標準時)』の2種類の針が書かれている(中村俊一朗氏提供)

内地と1時間の時差

 かつて、日本国内や日本が影響力を持っていた満州に「時差」が存在した時代があったことはあまり知られていない。それは日清、日露の戦争による領土の拡大や鉄道路線の経営母体の変化などによって、めまぐるしく変わってゆく。

 明治28(1895)年、日清戦争に勝利し、台湾などを得た日本は、東経120度線を基準とする、中央標準時と1時間違う「西部標準時」を設定し、翌29年元旦から、台湾や八重山諸島などで使用された。

 さらに、日露戦争に勝利(明治38年)し、ロシアから東清鉄道の大連-長春(後に新京)間(後の満鉄線)の権利などを獲得。満鉄は明治40年4月1日の現地開業の際は内地と同じ中央標準時を使うが、同年5月16日午前零時をもって、西部標準時に切り替えている。これに合わせて満州内で日本の権益が及ぶ満鉄付属地、租借地である関東州(大連、旅順など)も変わった。内地と「1時間の時差」を持つ、“満州時間”の始まりである。

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