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【入門・日米戦争どっちが悪い(5)】日本を追い込んだルーズベルト 背景に人種偏見とソ連のスパイ

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【入門・日米戦争どっちが悪い(5)】
日本を追い込んだルーズベルト 背景に人種偏見とソ連のスパイ

日本への宣戦布告に署名するフランクリン・ルーズベルト米大統領。第二次世界大戦への参戦を望んでいたとされる=1941年12月8日、米ワシントン(ロイター) 日本への宣戦布告に署名するフランクリン・ルーズベルト米大統領。第二次世界大戦への参戦を望んでいたとされる=1941年12月8日、米ワシントン(ロイター)

 JB355への署名から2日後の7月25日、米国は国内の日本資産を凍結。28日にわが国が南部仏印進駐に踏み切ると、米国は8月1日、わが国への石油輸出を全面的に禁止しました。そして英国、中国、オランダをそそのかして封じ込めを強めました(ABCD包囲網)。石油がなければ国は成り立ちませんから、「死ね」と言っているのと同じです。

 第一次世界大戦の後、侵略戦争を放棄しようとパリ不戦条約がわが国や米国、英国、フランスなどの間で結ばれていました。米国務長官フランク・ケロッグとフランス外相アリスティード・ブリアンの協議から始まったことからケロッグ・ブリアン条約とも呼ばれています。

 ケロッグは条約批准を審議する議会で、経済封鎖は戦争行為ではないかと質問されてこう答弁していました。「断然戦争行為です」。つまり米国はわが国に戦争を仕掛けたのです。

 戦争準備のため時間稼ぎ

 わが国は米国との対立を平和的に解決しようと交渉していました(日米交渉)。石油全面禁輸から1週間後の8日、首相の近衛文麿はハワイでの日米首脳会談を駐米大使の野村吉三郎を通じて米国務長官コーデル・ハルに提案しました。しかしルーズベルトはそのころ、大西洋上の軍艦で英国首相ウィンストン・チャーチルと謀議を行っていました(大西洋会談)。

 ここで発表されたのが有名な大西洋憲章で、「領土不拡大」「国民の政体選択権の尊重」「強奪された主権・自治の返還」がうたわれました。さんざん植民地を増やしてきた米国と英国に言われても説得力はありません。

 実際「政体選択権の尊重」はドイツ占領下の東欧のことを言っていて、アジアの有色人種に適用するつもりはありませんでした。ウィルソンの「民族自決」、ヘイの「門戸開放」などと同様、美辞麗句と行動が一致しないのが米国です。

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