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【湯浅博 全体主義と闘った思想家】独立不羈の男・河合栄治郎(72)後継者編(3-3)

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【湯浅博 全体主義と闘った思想家】
独立不羈の男・河合栄治郎(72)後継者編(3-3)

空想的平和論への危機感

 師の河合がそうだったように、社会思想研究会は若い世代への教育にも熱心に取り組んだ。機関誌『社会思想研究』に土屋清と関嘉彦がそれぞれ自宅で読書会形式のゼミ生を募集した。早稲田大学の学生だった後の杏林大学名誉教授、田久保忠衛は、友人の佐藤寛行(のちの政治評論家)の紹介で土屋ゼミに入った。

 彼らのほかこのゼミの“卒業生”には、吉田忠雄、岡野加穂留、三宅正也、富山功らがいる。これとは別に碧海純一、芳賀綏、気賀健三らが研究会に加わった。関西では山崎宗太郎、伊原吉之助、柿木健一郎、片上明らを輩出した。京都大学では猪木正道の指導を受けた高坂正堯、勝田吉太郎、木村汎、西原正など社会思想研究会の第2世代が活動に加わっていく。

 研究会の再軍備論争では東京の現実主義と関西の理想主義がぶつかり、3年間にわたって論争が続いた。きっかけは土屋が昭和27年6月号の『社会思想研究』で、日本再軍備の必要を論じたのに対し、関西の音田正巳、塩尻公明らが反論した。

 関自身は25年の『中央公論』で国連協力のために日本は再軍備すべきだし、必要なら憲法改正もやむなしとの立場を表明した。数年後、鳩山一郎ら自主憲法制定論が急速に浮上した。関らは鳩山グループの中に「言論の自由」を否定した戦前の指導者も含まれていたことなどから、彼らとは一線を画した(関『私の民主社会主義』)。

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