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【満州文化物語(32)】特急「あじあ」の機関車設計者は「キング・オブ・ロコモ」と呼ばれた男だった…

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【満州文化物語(32)】
特急「あじあ」の機関車設計者は「キング・オブ・ロコモ」と呼ばれた男だった…

特急「あじあ」のパシナ型機関車。その巨大さがよくわかる。上段右から3人目が吉野氏(吉野康司氏提供) 特急「あじあ」のパシナ型機関車。その巨大さがよくわかる。上段右から3人目が吉野氏(吉野康司氏提供)

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ケタ外れのパシナ型

 終戦直後、大連へ進駐してきたソ連(当時)や中国の鉄道関係者は『キング・オブ・ロコモ(機関車王)』と呼ばれた男を探していた。世界に衝撃を与えた満鉄の超特急「あじあ」のパシナ型蒸気機関車を設計した中心人物である。

 吉野信太郎(のぶたろう)。満鉄工作課機関車係主任、工作課長、大連工場長を歴任し、満鉄が作った機関車十数種に携わった名技術者だ。

 そのころすでに病身であり、昭和21(1946)年10月には、肝硬変のため50歳の若さで亡くなってしまう。大連から内地(日本)への引き揚げが始まる直前のことであった。

 パシナ型機関車はあらゆる面でケタ外れだった。まずは巨大さ。最高時速130キロの「あじあ」を牽引するには強力なパワーを持つ機関車が必要だ。全長25・7メートル、全高4・8メートル、動輪直径2メートル。満炭満水時の重量は203トン。当時、世界最大級であり、内地の東海道線で特急「燕(つばめ)」を引いていたC51やC53(いずれも動輪直径1メートル75)と比べてひと回り大きい。

 2つ目は「流線形」の斬新なスタイルだ。濃い藍色の曲線ラインのカバーを機関車全面に取り付けるもので、約3割空気抵抗が減り、よりスピードアップができる。半面、カバー自体の重量がデメリットになるが、吉野らは他のあらゆる部分を切り詰めることでバランスを図った。

 そして、何より驚かされるのは「短期間」である。満鉄重役会議で「あじあ」建造の社議決定がされた昭和8年8月23日から、一番列車が発車した9年11月1日までわずか1年2カ月あまりしかない。設計開始から試運転まではたった7カ月だ。吉野らは「設計と製造を同時進行で行う」離れ業で、世界に轟く名機関車を“自前”で作り上げたのである。

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