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【湯浅博 全体主義と闘った思想家】独立不羈の男・河合栄治郎(58)その生涯編・人民戦線事件

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【湯浅博 全体主義と闘った思想家】
独立不羈の男・河合栄治郎(58)その生涯編・人民戦線事件

昭和12年ごろの新法文経済学部教室・研究室 (「東京大学の百年 1877~1977」から) 昭和12年ごろの新法文経済学部教室・研究室 (「東京大学の百年 1877~1977」から)

 実は、栄治郎に代わって土方が2度目の学部長に選任される際に、大内兵衛らの左派は土方支持で票を固めたはずだった。ところが、矢内原だけは土方学部長就任に反対していたといわれ、土方が矢内原に遺恨をもっていたとの説がある。

 矢内原は新渡戸稲造と内村鑑三の流れをくむ敬虔(けいけん)なクリスチャンではあるが、交友関係から大内と親しく、栄治郎のいう「グルッペ」の一員として左派と行動を共にした。

 学外でも新聞が彼らを批判し、これを問題視する貴族院議員が現れる。議会が取り上げると、文部大臣が放っておけなくなる。矢内原問題も昭和8年の滝川事件と同じ経過をたどることになった(扇谷正造『カイコだけが絹を吐く』)。

矢内原を擁護する

 13人からなる教授会の構成は、土方らの革新派が5人、対する大内ら少数派が4人で拮抗(きっこう)し、会議の趨勢(すうせい)は栄治郎と山田文雄の師弟、さらに馬場敬治、森荘三郎らにかかっていた。

 土方学部長の矢内原糾弾に、本位田や田辺が同調し、大内兵衛と舞出長五郎が矢内原擁護に回る。このとき、栄治郎と馬場は沈黙して会議の流れを滞らせた。栄治郎は矢内原とは対立する立場にあっても、思想によって大学教授の地位は追われてはならないとの信念があった。

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