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【湯浅博 全体主義と闘った思想家】独立不羈の男・河合栄治郎(58)その生涯編・人民戦線事件

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【湯浅博 全体主義と闘った思想家】
独立不羈の男・河合栄治郎(58)その生涯編・人民戦線事件

昭和12年ごろの新法文経済学部教室・研究室 (「東京大学の百年 1877~1977」から) 昭和12年ごろの新法文経済学部教室・研究室 (「東京大学の百年 1877~1977」から)

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(毎週土曜日に掲載します)

「左派教授を一掃せよ」

 支那事変の勃発は、拡大する国家主義に勢いを与え、それが「革新運動」として大学の奥深くまで浸透していった。東京帝大経済学部でも、一部が国家主義を掲げて「大学の革新」を呼号するようになる。経済学部長に返り咲いた土方成美を中心に、本位田祥男、田辺忠男らの教授が結集し、左派教授の一掃を決意した。

 土方は河合栄治郎を学部長から引きずり下ろすために、マルクス主義者と結託したが、返す刀で大内兵衛ら左派の殲滅(せんめつ)に動いた。「革新派」が標的にしたのは帝大教授、矢内原忠雄だった。矢内原はキリスト教団体の会合で戦争を否定し、平和論を論じた。これがパンフレットになって出回っているうちに、内務省警保局の手に渡った。

 矢内原はさらに、昭和12(1937)年の『中央公論』9月号に「国家の理想」を寄稿して、戦争反対の姿勢を明確した。今からみれば、どこが過激なのか分からないほど穏やかな批判である。だが、土方ら革新派はこれら2つの論文をやり玉に挙げる。

 河合門下の江上照彦によると、経済学部の教授会が10月に開かれ、土方学部長が中央公論を手にして現れた。土方は矢内原の掲載論文「国家の理想」を示して、いきなり「このような論文の執筆者は大学教授としての適格性があるか」と発言した。

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