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【国会議員に読ませたい敗戦秘話】石原慎太郎が忘れ得ぬ東京裁判で味わった屈辱とは… マッカーサーによる政治ショーの実態を暴く

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【国会議員に読ませたい敗戦秘話】
石原慎太郎が忘れ得ぬ東京裁判で味わった屈辱とは… マッカーサーによる政治ショーの実態を暴く

東京裁判の法廷として使用され、現在は市ヶ谷記念館として移設、復元された大講堂。 昭和21年5月3日、東京裁判初日の写真を、現在の写真に重ね合わせた。(被告席左から3人目が広田弘毅、5人目が東條英機)=18日午後、東京・市谷(松本健吾撮影) 東京裁判の法廷として使用され、現在は市ヶ谷記念館として移設、復元された大講堂。 昭和21年5月3日、東京裁判初日の写真を、現在の写真に重ね合わせた。(被告席左から3人目が広田弘毅、5人目が東條英機)=18日午後、東京・市谷(松本健吾撮影)

 「そうだ。マッカーサーはトージョーと言っているのだから、とりあえず真珠湾攻撃を仕掛けたトージョー内閣の閣僚を中心にリストを作ればよいのだ…」

 こうしてソープは翌9日に40人近いリストを作成した。日本軍に協力した元フィリピン大統領やビルマ独立義勇軍のアウン・サン(少将)まで含まれるずさん極まりないリストだったが、これを基に戦犯容疑者の一斉拘束が始まった。

 「居所が分からない」とされた東條は東京・世田谷の自宅にいた。AP通信記者からこの情報を聞いた連合国軍総司令部(GHQ)は、9月11日にMPを拘束に向かわせたが、東條は直前に短銃自殺を図った。何とか一命を取り留めたが、その後もGHQの失態は続き、キーマンとなる人物が相次いで自殺した。

 近衛文麿はその象徴だといえる。37年7月の日中戦争開戦時の首相で、41年の日米開戦直前まで首相を務めた近衛は、日本の戦争責任を追及する上で最重要人物だったが、どうやらGHQは気づいていなかった。

 その証拠に、近衛は終戦後の東久邇宮内閣に国務大臣として入閣し、45年10月4日にはマッカーサーが直接会って憲法改正を指示している。この時点では、GHQは従順な近衛に占領政策の一翼を担わせる考えだったのではないか。

 近衛は戦犯リスト入りをひそかにおびえていたが、GHQが相次いで発表する追加リストにその名はなかった。11月9日には米戦略爆撃調査団から日中戦争の経緯などを3時間も追及されたが、19日発表のリストにも名前がなかった。

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