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【満州文化物語(19)】「人のお世話にならぬよう 人のお世話をするよう…」 満州と縁深い杉原千畝を動かした言葉とは

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【満州文化物語(19)】
「人のお世話にならぬよう 人のお世話をするよう…」 満州と縁深い杉原千畝を動かした言葉とは

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 先の大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れてきた多くのユダヤ人を救った外交官、杉原千畝。その生涯を描いた映画『杉原千畝 スギハラチウネ』の中に「自治三訣(さんけつ)」の言葉が何度も出てくる。

 《人のお世話にならぬよう 人のお世話をするよう そして、報いを求めぬよう》

 満鉄の初代総裁、東京市長や外相、ボーイスカウト(当時は少年団)日本連盟の初代総長を歴任した後藤新平(1857~1929)がモットーとして好んで使った言葉である。

 後藤直筆の自治三訣の扁額は杉原の母校であり、1920(大正9)年、後藤の肝煎りでハルビンに創設された「哈爾濱(ハルビン)学院」(当初の校名は日露協会学校)の武道場(講堂)に掲げられていた。いわば校訓であり、行動規範として出身者に刻み込まれた「心棒」であったといっていい。映画で、杉原をサポートするウラジオストク総領事館の根井(ねい)三郎もまた哈爾濱学院の出身(2期生)であった。

 杉原と満州の縁は深い。19年、外務省留学生試験に合格し、ロシア語学生としてハルビンへ留学。22年からは日露協会学校当時の哈爾濱学院の特修科に通い、後には教官となってロシア語を教えている。

 満州国が誕生(32年)すると、外交部(外務省)に出向し、ソ連(当時)が経営権を握っていた北満鉄路(東支鉄道)の買収交渉を担当。得意のロシア語と徹底した情報収集によって適正な資産価値を弾き出し、ソ連側の言い値を粘り強い交渉によって約4分の1にまで引き下げさせた。

 金銭面のみならず、満州国内の鉄道からソ連を追い出したことは、日本にとって安全保障上、大きな意味があった。杉原らの外交的勝利と言っていい。このとき、通・翻訳を務めたのも学院生であった。

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