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【満州文化物語(17)】満州国軍の日本人軍官…「軍再興」が幻に終わったのは-

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【満州文化物語(17)】
満州国軍の日本人軍官…「軍再興」が幻に終わったのは-

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 満州国軍(終戦時兵力15万)の将校を養成する軍官(士官)学校に在籍した日本人の秘話を今回も書く。

 五族(日、満、漢、鮮、蒙)で構成された満州国軍だが、日本人は幹部のみ。新京(現中国・長春)に昭和14(1939)年、設立された軍官学校も日本人は独自の試験がなく、内地の陸軍予科士官学校などの志願者から選抜されていた。

 しかも、日本人は満州で予科を終えた後、本科は全員が内地の陸士、経理学校、航空士官学校へと戻り、日本軍の幹部候補生とともに学ぶ。

 この制度によって、多くの少年たちが思いもしなかった「満州(国軍)行き」を提示されながら、大陸へ渡る道を選んだ。

 だが、満州国が13年で“うたかた”のように消えてしまったとき、運命と片付けるには残酷すぎるわずかな差によって、10代、20代の若者の生死が分けられてしまう。

関東軍総司令官に直訴

 終戦の約2カ月前…。

 満州国陸軍軍官学校6期生の金川信常(かねかわのぶつね、88)や山崎啓史(ひろし、88)ら7人は、新京にある西洋の城を思わせるような関東軍(日本軍)総司令官、山田乙三(おとぞう)大将の官邸前に立っていた。

 19年1月に軍官学校に入校した彼らは予科の卒業が近い。本科は内地の(日本軍の)陸士などへ進む約束だが、戦況は厳しく、6期に限って「中止」の噂が飛び交っていた。そこで期の代表7人が悲壮な決意を胸に、満州における日本軍の“総大将”に直訴すべく、やってきたのである。

 結局、総司令官の山田は出張中で、副官に用件を伝えたが、苦り切った口調でこう言い放たれた。

 「話は聞き置く。だが、これは問題だぞ!」

 当然だろう。この行動は「軍の規律」を大きく逸脱していた。満州国軍の学校に属する彼らにとり、いくら緊密な関係にあるとはいえ関東軍は外国の軍隊である。しかも、直属の上官である軍官学校の区(小)隊長や校長には何ひとつ打ち明けていない。

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