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【人口戦】日本の少子化は「人災」だった(下) 戦後70年、いまだGHQの呪縛 戦前は近隣諸国との出生率競争

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【人口戦】
日本の少子化は「人災」だった(下) 戦後70年、いまだGHQの呪縛 戦前は近隣諸国との出生率競争

 こうした価値観の変化は戦時中の「産めよ殖やせよ」政策への批判にもつながった。国民の反発を恐れた国会議員や官僚は、出生数減の危機を知りながら結婚や出産の奨励政策に及び腰となり、少子化対策は後手に回ったのである。

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 「産めよ殖やせよ」政策といえば、一般的に国防国家体制を確立するための兵力や労働力の確保策と説明される。16年1月に近衛文麿内閣によって閣議決定された「人口政策確立要綱」には、「今後ノ十年間ニ婚姻年齢ヲ現在ニ比シ概ネ三年早ムルト共ニ一夫婦ノ出生数平均五児ニ達スルコトヲ目標トシテ計画ス」など、実に細かな“指示”が記されている。

 だが、この「産めよ殖やせよ」政策は、GHQによる「人口戦」とは別の、戦前にあった「もう一つの人口戦」の影響を強く受けていたことはあまり知られていない。近隣諸国との出生率をめぐる戦いである。

 実は、戦前の日本も少子化に悩んでいた。人口1千人あたりの出生率は大正9(1920)年の36・2をピークに、昭和14(1939)年は26・6に落ち込むなど長期下落傾向を示していたのだ。

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