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【ニュースな街】文化勲章を断った「孤高の画家」の聖地には全国からファンがやって来る 椎名町・要町

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【ニュースな街】
文化勲章を断った「孤高の画家」の聖地には全国からファンがやって来る 椎名町・要町

熊谷守一美術館=東京都豊島区千早 熊谷守一美術館=東京都豊島区千早

 前回の自由学園明日館からさらに西へ向かい、立教大学の先まで行くと、極端なまでに単純化された独自の世界を構築した画家、熊谷守一(くまがい・もりかず、1880~1977年)の美術館がある。自宅跡地に建てられた小さな美術館だが、孤高の画家と呼ばれた守一の熱心なファンが「聖地」として全国から訪れている。

1日中、庭に寝転んで観察

 守一は岐阜県付知村(現中津川市)に生まれた。父、孫六郎は製糸工場を営み、後に岐阜市長になる人物。守一はそんな名家に生まれた。1900年、東京美学校(現東京芸大)の西洋画科に入学し、将来を嘱望されていたが、在学中に父が急死し家業が倒産。さらに1910年に母が亡くなり、6年ほど郷里に戻り、山で木材を伐採、出荷する作業に従事するなどなかなか絵が描けない時代が続いた。

 その後、再上京し結婚、子供が生まれても思うように筆は進まず、生活も困窮を極めた。そんななかで5人の子供のうち2人が幼くして亡くなった。

 1932年に夫人の実家の援助で美術館のある場所に家を建てた。現在でこそ住宅街だが、当時は畑と雑木林が広がっていたようだ。

 若いころはレンブラント風の陰影の強い西洋画のような画風だったが戦後、限界まで簡略化し、はっきりと線で区切り、面を平塗りする画風に変わってきた。

 対象を徹底して見る観察眼があるからこそ可能になったのだろう。

 「私は好きで絵を描いているのではないんです。絵を描くより遊んでいるのが、いちばん楽しいんです。石ころひとつ見ていても全く飽きることがありません」。そう言っていたという。

 70代になると、ほとんど外出しなくなった。80坪ほどの自宅敷地は、約半分が庭で、まるで深山幽谷のように木や草が生い茂っていた。そこで、日がな一日、アリや鳥、雨のしずく、陽光など自然の姿を眺めていたという。

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