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【満州文化物語(15)】終戦翌年、中国の内戦に…「満蒙開拓義勇軍」の日本人少年が駆り出された背景とは?

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【満州文化物語(15)】
終戦翌年、中国の内戦に…「満蒙開拓義勇軍」の日本人少年が駆り出された背景とは?

新京にあった満州国陸軍軍官学校(「同徳台第七期生史」から) 新京にあった満州国陸軍軍官学校(「同徳台第七期生史」から)

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 終戦から約8カ月が過ぎた和21(1946)年4月、満州国の首都だった新京(現中国・長春)をめぐる中国国民党軍(重慶軍)と共産党軍(八路軍)の攻防戦が始まった。

 日本人の引き揚げはまだ始まっておらず、新京の知人宅に身を寄せていた満州国陸軍軍官学校7期生で、17歳の西川順芳(のぶよし)(87)は中国人同期生に引っ張り出され、国民党軍の少尉(小隊長格)になることを余儀なくされてしまう。

 西川は、自分の小隊の兵士として連れてこられた約60人の素性を知って驚いた。彼らも満蒙開拓青少年義勇軍=〈文末別項参照〉=の日本人少年だったからである。つまり、指揮官(西川)も兵士も「全員が日本人」だったわけだ。

 少年らは15、16歳。東北や北関東の農家の次男坊、三男坊が多かった。満蒙開拓団に加わるため、大望を抱いて渡満して間もなく終戦となり、ソ連軍(当時)侵攻後に国境付近から命からがら逃げてきたらしい。

 「僕(17歳)よりも年下で体も顔もあどけなく、本当の子供だったね。軍服などなく、開拓団の作業服みたいな格好そのまま。ただ、軍事訓練も受けていたから小銃の扱い方ぐらいは知っていたんです」

 なぜ中国の内戦に、開拓義勇軍の日本人少年までが駆りだされたのか?

 西川への参加要請は当時、国民党軍の主力が依然、南方にいて兵力、特に指揮官が不足していたからだ。西川は「重慶から来た少尉」という触れ込みで日本語の使用を禁じられ、中国語で指揮を行うことを命じられる。同様に国民党軍に加わった日本人の国軍・軍官学校出身者は複数いたが、先輩のひとりが日本人勧誘の“仕掛け人”だったことに気付く。

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