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【満州文化物語(12)】妊婦ら在留邦人270人はなぜ助かったのか? 「奇跡の脱出行」…関東軍部隊の決断と伝統

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【満州文化物語(12)】
妊婦ら在留邦人270人はなぜ助かったのか? 「奇跡の脱出行」…関東軍部隊の決断と伝統

第一大隊長の下道重幸大尉(「下道部隊戦友会誌」から) 第一大隊長の下道重幸大尉(「下道部隊戦友会誌」から)

 「こうなったら居留民を連れて北京へ(西へ)向かうしかありません」。部下の幹部将校らは死中に活を求めるべく、連隊がある承徳とは反対方向、約120キロ離れた北京へ抜けることを進言した。

 簡単な道ではない。大隊には終戦で崩壊した満州国軍の日系将校も加わり、軍人が約750人。居留民と合わせて約1000人の大所帯で年寄りや女性、子供が多く、妊婦もいる。数倍、数十倍の八路軍が待ち構えている危険地帯を隊の前後を武装した軍人が守りながら道なき道を行き、万里の長城を越えるのだ。

 下道はついに決断する。8月31日夜、軍民一体となった「苦難の脱出行」が始まった。

満州に憧れた15歳の少年

 戦後、新潟県議を務めた清田(せいだ)三吉(90)は下道部隊で糧秣(りゅうまつ)を担当する一等兵であった。

 清田は“宝石箱”を夢見て満州へ渡った少年のひとりである。16年4月、地元・新潟の農林学校を出て、新京の興農合作社(農協のような組織)へ入る。まだ15歳だった。

 「当時は、日本中が『満州へ満州へ』という雰囲気だった。私も満州のでっかい夕日や大地に憧れてね。そこで農業をやってみたい、『満州の土と化さん』という情熱と志に燃えていましたね」。四平省の農村などに約3年半。19年11月、現地召集で入隊し、1年足らずでソ連の満州侵攻に遭遇したのである。

 約1000人の隊列の先頭付近に清田はいた。

 「難路が続き、トラックや馬車、ロバなども途中で放棄するしかない。日中は猛烈な暑さになり、日射病のために何人かの幼児が息を引き取った。八路軍との散発的な銃撃戦は依然続いており、裏道を探してゆくので1日で10キロぐらいしか進めなかった」

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