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【森喜朗元首相大いに語る】「リオ五輪が終われば世界の目は日本に向く」「オールジャパンで協力を」

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【森喜朗元首相大いに語る】
「リオ五輪が終われば世界の目は日本に向く」「オールジャパンで協力を」

2020年東京五輪・パラリンピック向け、東京都と東京都議会が主催したシンポジウムで基調講演を行う大会組織委員会の森喜朗会長=28日、東京都千代田区

 「そんなこともありまして、総理がその後、行くことになっていたクウェートに、私が急遽、総理の代わりに行くことになりました。クウェートには大変有力な方がおられたので」

 「私はいろいろなところに行きました。五輪のときだけでも1年間で12回、海外に行きました。クウェートは0泊3日という日程でした。私だけでなく、多くのみなさんがそういうふうに、一生懸命、五輪開催を勝ち取るために大変な努力してこられた。それに対して、われわれは、お応えしなければならない」

最初の功労者は石原慎太郎さん

 「もう一つ、東京開催決定で申し上げておかなければいけないことがございます。それは、当時の都知事は石原慎太郎さんのことです。自分の選挙では負けたことがないのに、コペンハーゲンで破れ、とても悔しがられた。そして、もう選挙はやめたと。もう選挙に出ないと。当時、神奈川県の松沢(成文)知事にバトンを委ねられた」

 「そのうちに宮崎県の東国原(英夫)さんが五輪反対を掲げて立候補された。こういうような状況で、これは何としても石原さんに出ていただかなくてはならんだろうということになった」

 「当時、自民党総裁だった谷垣(禎一)さんと、ご子息で幹事長だった石原伸晃さんが石原慎太郎さんに対してお願いをしたのですが、あの方も頑固ですから、舛添さんも頑固ですけども、舛添さんよりももっと頑固で、全く聞く耳持たず、誰がいっても相手にしないという状況でした」

 「そこで、石原さんと長い付き合いがあった私は申し上げました。『あなたの息子さんが自民党の幹事長をやっているんだよ。その幹事長が自分のお父さんを説得できないということになれば、石原伸晃の政治生命は不利になるよ』と」

 「忘れもしませんが、2011年3月10日、必死に伸晃君はお父さんを説得し、私も側におりました。最終的には石原さんが出馬をしてくれました。それが、あの3・11の前夜ですから、これは、私は本当によく覚えております。私はそのとき、石原さんに『大変失礼だけれども、五輪やるといって選挙してください。当選したらすぐ辞めればいいじゃないですか』と。それからしばらくして石原さんは都知事をお辞めになりましたけど、しかし、東京都で2020年五輪・パラリンピックがあるということだけは、きちんと確約された」

 「石原(慎太郎)さんが、一番つらかったのは、松沢さんにおりてくれと言うこと。『おりてくれ』とは言えないという悩みを打ち明けておられました」

 「東京五輪、ここまでこれた最初の功労者は石原都知事(当時)。そして猪瀬さん、舛添さんとつながっているわけです。その間、都議会が一体となって支援してくれたおかげでここまでこれたと思っています」

いくらかかるかわからない

 「さて、先ほど申し上げましたが、これから新しい段階に入ります」

 「現在、大会組織委員会では、440人近い職員が頑張ってくれています。おそらく来年は1000人くらいになるのかなと。最終的には8万人くらいの方々にボランティアをお願いする。ただで働かせてはいけない、ちゃんと賃金を払ってやれという指摘もありますが、お金があれば、お支払いすることはやぶさかではないのですが、計算してみても、大変な金額になる」

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