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【世界記憶遺産】
中国版「アンネの日記」こそが南京大虐殺がなかった証拠だ! 藤岡信勝(拓殖大客員教授)
月刊正論2016年1月号。お求めは記事中の「ご購入はこちらへ」のリンクからどうぞ
程瑞芳日記は、1937年12月8日から1938年3月1日までの84日間の記録で、筆者が金陵女子文理学院の教師として難民受け入れにいかに苦労したかが書かれている。しかし、この日記の真の目的は、日本軍の悪行を記録しておこうとするところにあった。
程瑞芳は、実は東京裁判に供述書を提出し、11人の娘が連れ去られ強姦されたこと、1人の男が部屋に入って強姦したこと、1軒の家が焼かれ主人が殺されたこと、の3件を証言していた。
日記ではさらに多数の不法行為が日本軍の仕業であるかのようにして書かれている。しかし、よく読むと、多くの事例はまことに漠然とした記述であり、その雰囲気は国民党政府がまとめた「南京安全地帯の記録」ととてもよく似ている。それは、どちらも伝聞による記述が多数にのぼるからである。
南京事件研究家の阿羅健一氏は、程瑞芳日記を詳細に検討し、幸福実現党が4月8日に提出した反論書の一部として批判文を執筆した。ユネスコに提出したのは英訳だが、日本語の原文は、9月7日に行われた「南京の真実国民運動」と「慰安婦の真実国民運動」の合同記者会見の場で、「程瑞芳日記について」と題するA44ページの文書として配布した。以下、この文書に依拠して記述する。
阿羅氏は、程瑞芳日記の記述を、(1)漠然とした記述(2)噂話(3)虚偽(4)程瑞芳自身が見た被害-の4つに分類した。
このうち「漠然とした記述」というのは、例えば「城の南側の多くの建物が焼かれた。毎晩焼かれている」だとか、「外では毎日略奪が発生している。あらゆる物が盗られる」などといった記述である。具体性がない。
「噂話」というのは、「全南京市で今のところ憲兵が17人しかいない」といった記述である。憲兵が少ないから軍紀が乱れたと言いたいらしいが、事実は200人の憲兵がいた。人から聞いた噂話を書いたのであろう。
「虚偽」というのは「ある場所では死体で路面が見えなくなっている」といった記述である。東京裁判で検察側が提出した記録によれば、安全区内にあった死体は175体であった。路面が見えなくなるどころか、死体を見つけるのが大変である。
