産経ニュース

【話の肖像画】ケント・ギルバート(2)「日本に来たら何でも米国と逆だった」「肉に砂糖入れるとは…」

ニュース プレミアム

記事詳細

更新

【話の肖像画】
ケント・ギルバート(2)「日本に来たら何でも米国と逆だった」「肉に砂糖入れるとは…」

1986年の家族写真。父(前列中央)と母(同右から2人目)を中心にケントさん(後列中央)たちが並ぶ(本人提供)

 〈モルモン教徒の両親のもとに6人兄弟の長男として生まれた

 変わった少年だったと思います。4歳半で叔母のピアノを弾き始めて、7歳でレッスンを受けるようになり、9歳の時には先生が「私より上手だからほかの先生をさがしなさい」とお手上げ宣言。腕前がピークに達したのは中学1年生ですかね。ただ、ピアノは男の仲間には受けないんですよ。といっても運動は興味がなかった。運動会はいつも参加賞でしたね。でも、僕はメダルを取った人について「あいつは足が速くてうらやましいけど、僕は成績が抜群だからいいか。成績が悪いあいつの足の速さは特技だから喜んであげよう」と冷静に考える人間なんですよ。それぞれに輝くものがあっていいということを小学生の頃から納得していました。

 とはいえ、わが家には常に最高の結果を期待されているような圧迫感がありました。でも、両親から「勉強しなさい」などといわれたことはありません。100点を取らないと気がすまなかったのは僕の性格でしょう。成績は常にトップで、ユタ州プロボにあるブリガムヤング大学から全額奨学金をもらって入学しました。

 モルモン教徒の男性は19歳(いまは18歳)になれば国内・海外伝道に出ることができます。当時はベトナム戦争の真っ最中。徴兵制があったので登録しましたが、大学在学者は免除されました。仮に徴兵されたら、国のために命をささげなければいけない覚悟はあったけど、自分が戦っているイメージがわかなかったし、何より伝道を経験したかった。戦時中だったから教会も世論に配慮して各地区で毎年2人しか宣教師をださないという自主規制を設けました。僕の地区の希望者は20人もいて取り合いになりましたが、偶然にも枠が1つ残っていました。

「ニュース」のランキング