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【満州文化物語(7)】溝に転落し動けない母娘をメッタ刺しに…甦る“恐怖”の記憶

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【満州文化物語(7)】
溝に転落し動けない母娘をメッタ刺しに…甦る“恐怖”の記憶

 抗日ゲリラの襲撃に備える撫順中の生徒たち  抗日ゲリラの襲撃に備える撫順中の生徒たち

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最後の旧制「旅高」

 昭和25(1950)年に廃止された旧制高校は全部で35校しかない。入学できたのは同世代の約1%。総定員が帝国大学のそれとほぼ同じだから、旧制高校に入った時点で“帝国大学へのチケット”を事実上保証される超エリートだ。

 一高から八高までのナンバースクールから始まり、静岡、松本、大阪など地名を冠した学校、さらには成蹊、甲南などの私立高ら内地(日本)に33校。外地につくられたのは、旅順高(関東州)と台北高(台湾)だけである。

 旅順高は昭和15(1940)年、最後の官立高等学校、外地では2番目として、日露戦争の激戦の地であり、軍港と学術都市の性格も併せ持つ旅順に開校した。通称は「旅高(りょこう)」。ここへ満州・関東州各地から秀才が集まってくる。

 1回生には、寮歌(逍遙歌)『北帰行(ほっきこう)』の作者でTBS常務を務めた宇田博(うだひろし)や『アカシヤの大連』で芥川賞をとった作家、詩人の清岡卓行(きよおかたかゆき)がいた。宇田は父親が奉天農大の学長で新京にあった満洲建国大学予科を経ての入学、清岡は大連一中(旧制)の出身だが、2人はともに旅順高を中途退学して一高(東京)から東大へと進んでいる。

 旅順高が存在したのは、たった6年弱(6回生)でしかない。内地の高校が昭和25年3月まで命脈を保ったのに対して、外地の学校は終戦後しばらくして閉鎖を余儀なくされたからだ。

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