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【郷土偉人伝】林子平 黒船以前から「海防」を説いた仙台藩の先覚者

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【郷土偉人伝】
林子平 黒船以前から「海防」を説いた仙台藩の先覚者

「林子平画像(部分) 仙台市博物館蔵」

 江戸の日本橋より唐(から)、阿蘭陀(オランダ)まで境なしの水路なり-。江戸時代後期、仙台藩ゆかりの思想家、林子平(はやし・しへい)(1738~93年)が著した「海国兵談」の有名な一節だ。四方を海に囲まれた海国の日本では、海辺の防備が急務であると、海防の必要性を説いた林子平。仙台市青葉区のJR仙山線東北福祉大前駅から徒歩で10分ほどのところに「子平町」がある。

 もとは子平の名前はついていなかったが、昭和42年の住居表示による町名変更の際に、地元の龍雲院に墓のある林子平にちなんで子平町となった。

 子平の墓は鞘(さや)堂に覆われ、そばには明治政府の要職にあった伊藤博文が建立した石碑がある。平重道著「林子平その人と思想」(昭和52年、宝文堂)によると、伊藤博文は明治12年に奥羽(東北)を巡視し、仙台の子平の墓を訪れたが、その頃の墓はあまりに荒廃していた。子平を慕っていた博文はその様を嘆き、子平の偉業を後世に残そうと碑の寄進を決めたという。墓は昭和17年に国の史跡に指定された。

 仙台市史などによると、子平は元文3(1738)年に江戸で生まれた。姉が仙台藩の6代藩主、伊達宗村の側室となったことが縁となり、兄が仙台藩士に取り立てられた。子平は兄の世話になる無禄厄介(やっかい)という待遇で、比較的自由に行動できたことから、長崎に3度赴き、オランダ商館長らから海外の情報などを入手した。

 こうして得た知識をもとに、ロシアの南下を警戒して、蝦夷地の確保を説いた「三国通覧図説」を天明6(1786)年、「海国兵談」を寛政3(1791)年に刊行。しかし、翌年、幕府はいたずらに人心を惑わすものとして、子平に仙台藩での蟄居(ちっきょ)を命じた。版木没収、発禁の処分を受けた子平は「親もなし、妻なし、子なし、はん(版)木なし、かねもなければ、死にたくもなし」と述べ、「六無斎(ろくむさい)」を名乗った。同5(1793)年に56歳で没した。

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