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【大河原邦男展(中)】「ガッチャマン」のメカは実にリアルだった…タツノコプロで発揮された大河原邦男の“異彩”

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【大河原邦男展(中)】
「ガッチャマン」のメカは実にリアルだった…タツノコプロで発揮された大河原邦男の“異彩”

「ゴワッパー5ゴーダム」(1976年)(C)タツノコプロ 「ゴワッパー5ゴーダム」(1976年)(C)タツノコプロ

 大河原邦男さん(67)がメカニックデザイナーとしての一歩を踏み出した「タツノコプロ(竜の子プロダクション)」は、後に多分野で活躍する数多くのクリエーターを世に送り出した。ゲーム「ファイナルファンタジー」のキャラクターデザインや小説「吸血鬼ハンターD」「グイン・サーガ」の装丁画などで知られる画家の天野喜孝さん(63)も、その一人だ。天野さんに、タツノコ時代の大河原さんの思い出を聞いた。

「妻経由で話は入ってきた」

 僕は15歳でタツノコプロに入りました。大河原さんがタツノコの美術部に配属されたころ、僕はキャラクターデザインを担当していて、同じ建物にはいたのですが、部署も部屋も違ったので、直にやり取りすることはあまりありませんでした。

 ただ、僕の妻が大河原さんと同じ部署で働いていたので、妻経由で大河原さんの話は入ってきていたんです(笑)。大河原さんはアニメーションの世界とは違うジャンルの感じがしましたね。タツノコにはいろんな経験をされた人がいましたが、大河原さんは服飾関係(アパレル会社出身)ですから、かなり異質でしたね。おしゃれな方で、仕事もスマートに、きちっとやっていたイメージです。

「今思えば、とんでもないこと」

 大河原さんの仕事ぶりは、まさに「メカ」のようでした。締め切りもきちっと守るし、要求に的確に応える。当時、大河原さんはそれを当たり前のようにこなしていましたが、今思えば、とんでもないことなんです。それまでメカを専門にやる人はいなかったし、メカデザイナーという職種も存在しなかったわけですから。

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