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【秘録金正日(38)】「スパイ映画」を現実に…「一言で0点だ」と工作組織を解体、掌握

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【秘録金正日(38)】
「スパイ映画」を現実に…「一言で0点だ」と工作組織を解体、掌握

1974年5月に北朝鮮北東部の咸鏡北道を視察する金正日=北朝鮮刊行の『金正日指導者』(1994年)から 1974年5月に北朝鮮北東部の咸鏡北道を視察する金正日=北朝鮮刊行の『金正日指導者』(1994年)から

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 1976年後半までに、金正日(キム・ジョンイル)は、朝鮮人民軍を除くほぼ全ての権力機関を自分の影響下に置くことに成功する。それを可能にしたのは、手足となった国家政治保衛部(現・国家安全保衛部)という特殊機関の存在だった。

 映画を通して父、金日成(イルソン)や元老らの心をつかみ、権力を手にしたが、「芸術」だけで地位を維持できないことも誰より分かっていた。そこで目をつけたのが工作・情報部門だ。正日にとって工作活動は映画の世界そのものだった。

 「北朝鮮が拉致や暗殺、爆破テロを繰り返したのは、金正日の猟奇的な映画趣味と無関係ではない」と、米中央情報局(CIA)で対北情報活動を担ったマイケル・リーは証言する。「彼はスパイ映画が特に好きだった」

間髪の差で命拾い

 金日成を中心にした「唯一体制」を守るには、ソ連の国家保安委員会(KGB)のような特務機関が不可欠だと、金正日は父に秘密警察創設を強く訴えた。

 73年2月15日、警察機構の社会安全部(現・人民保安部)の一部門にすぎなかった政治保衛部を独立させる形で、国家政治保衛部が発足する。初代部長には、金炳河(ビョンハ)が就任した。

 炳河は護衛副局長だった65年4月、正日が警護責任者として日成のインドネシア訪問に同行した際、実務を担当した。一行がジャカルタの大統領宮殿を訪れる直前、大統領のスカルノを狙った爆弾テロが起きた。炳河が宮殿入りする時刻を遅らせたため、日成らは間髪の差で命拾いする。

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