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【満州文化物語(4)】「アチャコ」ってどんな美人? 朝日と吉本の慰問隊は勘違いもされ喜ばれた

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【満州文化物語(4)】
「アチャコ」ってどんな美人? 朝日と吉本の慰問隊は勘違いもされ喜ばれた

しゃべくり漫才で一世を風靡したエンタツ(左)アチャコのコンビ しゃべくり漫才で一世を風靡したエンタツ(左)アチャコのコンビ

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満州ブーム煽(あお)った新聞

 前回、落語家の古今亭志ん生と三遊亭円生が終戦間際に満州へ行き、ソ連軍(当時)の侵攻で大連に足止めされた話を書いた。戦争末期になると内地(日本)では空襲が激しくなり食料や物資が乏しくなってゆく。廓噺(くるわばなし)などは禁演落語として封印され、あらかたの寄席も焼けてしまう。それに比べて満州はずっと安全で物資が豊富で自由で、なおかつギャラも悪くなかったから、芸人、歌手、役者らはこぞって慰問隊(団)に参加し、船上の人となったのである。

 芸人派遣の慰問隊には、さまざまな演芸会社や新聞社が関わってきたが、有名なのが「朝日新聞」と「吉本興業」の関係だ。

 吉本の社史『吉本八十年の歩み』にこうある。《(昭和6年)9月18日に満州事変が勃発した。エンタツ・アチャコと秋田実(※漫才作家、後に吉本文芸部)が初めて会ったのはそれから間もなく…両者は朝日新聞学芸部の白石凡記者らの引き合わせにより…顔を合わせた。(略)吉本は12月、朝日新聞との協賛で、そのエンタツ・アチャコと神田山陽、花月亭九里丸(かげつていくりまる)を満州駐屯軍の慰問に送り出した…慰問ぶりを朝日新聞が何度も記事にした》

 吉本興業文芸顧問の竹本浩三(80)がいう。「朝日と吉本は白石記者らの関係で交流があった。当時はエンタツ・アチャコもそれほど知られておらず、現地では『アチャコ』の名前を見て『どんな美人の女の子』が来るのか、と勘違いされたこともあったらしい」。(横山)エンタツ・(花菱)アチャコとは、背広姿の“しゃべくり漫才”で一世を風靡(ふうび)するコンビ。「早慶戦」ネタで人気が爆発するのは8年のことだ。かつての「萬歳」は「漫才」に変わり、やがて大阪では落語に代わり、漫才が寄席の主流になってゆく。

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