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【郷土偉人伝】荒井退造 激戦地の沖縄で県民疎開に尽力した警察部長 戦後70年に故郷・宇都宮の誇りに

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【郷土偉人伝】
荒井退造 激戦地の沖縄で県民疎開に尽力した警察部長 戦後70年に故郷・宇都宮の誇りに

荒井退造(荒井紀雄さん「戦さ世の県庁」から)

 3月下旬からの大空襲、艦砲射撃、4月1日、米軍はついに沖縄本島上陸を果たし、県外疎開は不可能となる。そんな状況でも荒井は、島田知事と二人三脚、戦闘が激しい沖縄本島南部から北部へ15万人を避難させた。「合わせて20万人以上を救ったことになる」と塚田さんはいう。

暗黒なる壕内に生く。

 4月27日、市町村長会議が開かれる。当時の県庁は地下壕(ごう)。塚田さんは「非常事態にこのような会議を開催できたことが驚嘆に値する。荒井と島田に寄せる深い信頼があったからではないだろうか」とみる。

 5月25日。「六十万県民ただ暗黒なる壕内に生く。この決戦に敗れて皇国の安泰以(もっ)て望むべくもなしと信じ、この部下と相ともに敢闘す」。荒井は内務省に電文をあてた。2日後、警察別働隊8人を内務省への報告のために向かわせたという電文を最後に、内務省への連絡は途絶えた。

 警察を小班に再編。住民保護、避難誘導に当たらせたが、6月9日、ついに警察は解散。荒井は「警察官の職務は忘れるな」と訓示した。「その後も毎日のように警察官が避難誘導中に殉職している。荒井の訓示に忠実だった」。塚田さんは警察官の行動に感銘を受けたという。

 日本軍の抵抗は沖縄本島南部へと追い詰められていく。荒井は赤痢が重くなっていた。6月26日、島田に抱えられるように、島南端の摩文仁(まぶに)の森に入っていく姿を目撃されたのを最後に2人の消息は途絶えた。

 2人の遺体は今も見つかっていない。摩文仁の丘には島守(しまもり)の塔が建てられ、2人の終焉(しゅうえん)の地を示す碑がある。

戦後70年を機に

 2人が姿を消してから70年の今年6月26日、那覇市の奥武山(おうのやま)公園に島田の功績を刻む顕彰碑が除幕された。除幕式には、栃木県から「荒井退造顕彰事業実行委員会」メンバーが参加した。

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