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【焦土からのプレーボール 濃人渉物語(3)】勝利への執念 伝説の采配 「権藤、権藤、雨、権藤」

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【焦土からのプレーボール 濃人渉物語(3)】
勝利への執念 伝説の采配 「権藤、権藤、雨、権藤」

完投勝利を挙げた権藤博を出迎える中日の濃人渉監督=1961年8月、広島市民球場

 九州の社会人野球の雄「日鉄二瀬」を率いる濃人渉(のうにん・わたる)がプロへ送り出した代表的な選手の一人に江藤慎一がいる。

 県立熊本商出身の大型捕手は守備でミスをして「丸刈りになれ」と濃人に怒られると、本当に髪をばっさりそってくる熱血漢だった。強打者に成長し、2年目には各球団が獲得に動くが、未完成と見た濃人は「あと1年待ってくれ」とストップをかけた。

 1959年に中日入りした江藤はほどなくスター選手となる。濃人自身も育成能力を買われ、同年秋に中日の2軍監督に就任する(肩書はコーチ)。

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 翌60年、5位に沈んだ1軍の杉下茂監督を球団は更迭。後任に決まった濃人は「急なことで戸惑っている」とこぼしたが勝算はあった。社会人で対戦し、ほれこんだブリヂストンタイヤの本格派右腕、権藤博の入団が決まっていたからだ。

 権藤は61年の開幕から期待通りに活躍した。5月9日に金沢の国鉄(現ヤクルト)戦で3度目の完封(6勝目)をマークした権藤を濃人は翌日の国鉄戦(富山)で同点の八回から投入した。

 力投むなしく延長十一回、勝ち越し打を浴びて敗れた権藤はその晩、宿舎で濃人に「これからもあるからな。覚悟しろ!」と言い渡された。これが連投に次ぐ連投で「権藤、権藤、雨、権藤…」と語り継がれる過酷な起用の幕開けだった。

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