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【焦土からのプレーボール 濃人渉物語(1)】広島で原爆に遭遇 閃光と爆風「材木の下敷き」

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【焦土からのプレーボール 濃人渉物語(1)】
広島で原爆に遭遇 閃光と爆風「材木の下敷き」

激動の昭和を歩んだ野球人、濃人渉氏=1970年。ロッテ監督時代

 「あの人に出会っていなければ私はプロ野球に入ることも、指導者になることもなかっただろう」。広島の監督として4度のリーグ優勝と3度の日本一に輝いた古葉竹識(東京国際大野球部監督)が感謝してやまない恩人がいる。その名を濃人渉(のうにん・わたる)という。

 広島からハワイへ移住し、雑貨商や電気工事業を手広く営む鍬一の長男として1915年に誕生。母のハツヨは帰国して広島で出産したため、濃人は日米の二重国籍を持っていた。

 広陵中(現広陵高)で野球に打ち込み、卒業後の33年、初めてハワイへ渡った濃人だったが、英語や気候になじめず、「日本の大学へ進学したい」と帰国。父には内緒で35年秋、職業野球の名古屋金鯱(きんこ)へ入る。

 身長167センチと小柄ながら強肩の遊撃手は36年2月、職業野球チーム同士が初対戦した巨人-金鯱戦に出場。37年途中に出征し、中国戦線で左半身を負傷するが、39年に金鯱へ復帰した。このころ濃人は国籍の二者択一を迫られ、日本を選ぶ。

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