産経ニュース

【スポーツ異聞】「選手兼任監督」の難しさ 「代打、俺」は容易でない

ニュース プレミアム

記事詳細

更新

【スポーツ異聞】
「選手兼任監督」の難しさ 「代打、俺」は容易でない

ベンチで指示を出す中日・谷繁選手兼任監督(中央)。選手として結果をどう出すのか=ナゴヤドーム(森本幸一撮影)

名選手は名監督にあらず…

 プロ野球史をひもとくと、選手兼任監督の歴史は古い。阪神では藤村富美男、村山実、西鉄には野村克也がいる。選手兼任監督のメリットの一つに「人件費削減」につながることがある。しかし、それは選手層の薄い時代ならではの“節約野球”だったはずだ。

 2006年、ヤクルトの古田が野村以来の選手兼監督に就任すると、ファンの間でジェスチャーを交えた「代打、俺」が話題になった。古田は兼任時代の2006年から07年にかけて3位→6位と転落、納得のいく結果を残せなかった。「チームが勝っているうちは問題ないが、負けが込んでくると選手兼任監督は気持ちの切り替えが難しく、大局から試合を見ることができなくなる」と指摘する声がある。

 プロ野球の監督業を「気づかせ業」と表現した野村には南海監督時代、プロで1勝もしていない投手を獲得して、2ケタ勝利を呼び込んだというエピソードがある。しかし、名将で知られた野村でさえ、南海の選手兼任監督だった70年から77年にかけてリーグ優勝できたのは1回に過ぎない。“野村再生工場”の秘密ともいえる「気づかせ」は選手兼任の片手間では難しく、兼任であるがゆえに選手への対応が遅れたと推測できる。

「分業」が当たり前

 昭和の頃の野球は「先発完投」は半ば当然で、球数にも無頓着だった。打者との相性によって「投手分業制」が進む中、1人2役の選手兼任監督は時代にそぐわなくなっているのかもしれない。

「ニュース」のランキング