産経ニュース

【家康改葬(2)】「久能山」か「日光」か 家康の遺体はどちらにある

ニュース プレミアム

記事詳細

更新

【家康改葬(2)】
「久能山」か「日光」か 家康の遺体はどちらにある

徳川家康が葬られた場所に立つ廟。遺命に従い、西を向いている=静岡市駿河区の久能山東照宮

 1159段の石段を登ると、眼下に駿河湾の絶景が広がる。徳川家康が晩年を過ごした駿府城跡から東に約8キロ離れた久能山(標高216メートル)の山頂に鎮座する久能山東照宮(静岡市駿河区)。日光東照宮ほどの規模ではないが、緑に囲まれ、静謐(せいひつ)な空気が漂う。

 今はロープウエーで気軽に訪れることができるが、当時は歩いて登るしかなかった。元和2(1616)年4月17日に亡くなった家康の遺体は、その日のうちに久能山に移る。一部の側近を除き登山を禁じられ、通夜も営まれなかった。

 「人目を忍んで運んだのは、神になるためにはどうすべきか、ひそかに準備していたのでしょう」。久能山東照宮の落合偉洲(ひでくに)宮司(67)が説明してくれた。

 家康は晩年、将軍の座を三男・秀忠に譲り、隠居。「大御所」として二元政治を敷いた。生前には「久能山は駿府城の本丸」と話しており、自らを埋葬する場所として指定した。

 家康の死後、日光東照宮に先駆けて着工した久能山東照宮は、いわば「最初の東照宮」。江戸時代を代表する大工頭・中井正清の手による社殿群は平成22年、国宝に指定された。

 宮内の一番奥に、家康が埋葬された「神廟」がある。当初は小さなほこらだったが、三代将軍・家光の命令により高さ5・5メートルの石塔が建てられた。

 石塔は遺命に従い、西を向いている。家康が死去した当時、西国にはまだ豊臣方の残党がうごめいていた。江戸との間に立ち、にらみを利かせるためだったと考えられている。

このニュースの写真

  • 「久能山」か「日光」か 家康の遺体はどちらにある

「ニュース」のランキング