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「コンピョウさんの猛ノック」(上)弱小チーム、一から出発 甲子園に台風旋風

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「コンピョウさんの猛ノック」(上)弱小チーム、一から出発 甲子園に台風旋風

台湾から甲子園を目指した嘉義農林のメンバー。中列の制服姿の左が近藤兵太郎。その左横にユニホーム姿で座るのがエース呉明捷(堀川盛邦さん提供)

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 近藤は台湾嘉義市の嘉義商工専修学校に商業教師として奉職。毎年夏休みには船酔いに苦しみながら帰郷して松山商の指導を続けたが1925年、後援会とのあつれきが原因となり、コーチから身を引く。

 傷心の近藤に再び野球を教えるチャンスが訪れたのは29年。強豪・松山商を育てた手腕に注目した同じ市内の嘉義農林の校長から「放課後に指導を」と依頼を受けた。発足間もない野球部のレベルは松山商とは比べものにならなかったが、一からのチーム作りに魅力を感じて快諾した。

 学校に部のグラウンドはなく、練習場所は市営の嘉義球場を借りた。近藤はさっそく「太陽の方角を甲子園と同じに」とベースの位置の変更を市へ要請。はるか南の島から大舞台を目指す意欲に満ちあふれていた。

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 現在の夏の全国高校野球選手権大会が、中等学校の大会として大阪・豊中で産声を上げたのは1915年。来年100周年を迎えるのを前に、戦前の台湾から甲子園に挑んだ監督の生涯を3回にわたって紹介する。=文中敬称略(三浦馨)

 【嘉義農林1931年オーダー】

(左)平野保郎(羅保農)=先住民

(中)蘇 正生     =漢民族

(遊)上松耕一(陳耕元)=先住民

(投)呉 明捷     =漢民族

(捕)東 和一(藍徳和)=先住民

(三)真山卯一(拓弘山)=先住民

(一)小里初雄     =日本人

(二)川原信男     =日本人

(右)福島又男     =日本人

※先住民のカッコ内は漢名  

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