産経ニュース

【番頭の時代(11)】日本電産永守重信社長が明言 「番頭がトップを狙ったらあかん。野心を持ったら、あかん」

ニュース プレミアム

記事詳細

更新

【番頭の時代(11)】
日本電産永守重信社長が明言 「番頭がトップを狙ったらあかん。野心を持ったら、あかん」

親分肌で部下を引っ張る日本電産永守重信社長

 昭和48年の創業前から2人はまるで「親分と子分」のように、行動を共にしてきた。出会いは日本電産社長の永守重信が音響機器メーカー「ティアック」に入社し、モーター設計を手がけていた昭和40年代のはじめだ。

 永守が卒業した職業訓練大学校(現・職業能力開発総合大学校)の後輩だった小部(こべ)博志(現副社長)が、同じ下宿先に住む永守にあいさつに行った。すると永守はいきなりこう言った。

 「子分にしてやる」

 親分肌の永守はその言葉通り、日本電産の創業時、有無を言わせず小部を入社させた。生え抜きの小部は、いまや同社になくてはならない「大番頭」だ。

             ◇  ◇  ◇

 真夜中、学生だった小部に永守が「ビールを買うてきてくれ」と頼んだことがある。自動販売機もコンビニエンスストアもない時代だ。「こんな時間に開いている酒屋はありません」という小部に永守は命じた。

 「駅前のクラブなら開いている。そこで買ってこい」

 永守は「その当時から私の教育は始まっていた」と振り返る。

 日本電産の創業後も小部は、永守の無理な注文に振り回された。日本電産が飛躍するきっかけとなった米国スリーエムとの取引。永守はモーターの性能を変えずに、大きさは半分にするという、どう考えても無理な注文を引き受けてきた。

「ニュース」のランキング