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【映画と生きる】「グレイトフルデッド」内田英治監督 ブラジル生まれ、元週刊誌記者-異色の経歴が生む無手勝流ムービー

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【映画と生きる】
「グレイトフルデッド」内田英治監督 ブラジル生まれ、元週刊誌記者-異色の経歴が生む無手勝流ムービー

映画「グレイトフルデッド」の1場面。瀧内公美(左)と笹野高史 c2013「グレイトフルデッド」製作委員会

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 ブラジルで生まれ育ったのは父親の赴任に伴うものだが、現地の学校に通っていたため日本語がうまくしゃべれず、帰国後は1学年ダブった。「同級生からは『ダブリー』っていじめられて、友達もいなかった。祖母の家に預けられていたが、寂しいのでずっと映画ばかり見ていました」

 映画は、日本の共同体意識になじめず、どんどん孤独になっていく内田少年の救いになった。ちょうどレンタルビデオが出始めたころで、せっせと借りまくった。映画の主人公は自分と違って困難に勇敢に立ち向かう、障害を乗り越える。こうして映画監督への憧れが芽生えていった。

 だが専門学校に進んだものの、いきなりセルゲイ・エイゼンシュテイン監督の「戦艦ポチョムキン」を見せられ、「だめだこりゃ」とすぐに辞めてしまう。とりあえず現場だ、と制作会社に入ったら、これが映画ではなくテレビのバラエティー番組。「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のスタッフを1年ほど勤めた後、海外放浪生活を経て拾われた先が、週刊プレイボーイの編集部だった。

 「副編集長と知り合いになって、文章を書くのが好きならうちに来いと誘ってくれたんです。雑誌記者というのはピンと来なかったが、最初に編集部に行ったとき、チンピラみたいな格好だったら、お前なめてんのか、とひどく怒られた。文章を書く気があるならちゃんとしろ、と。怒られたことで、やってみようかなと思いました」

 モノクログラビアの担当になり、ここで文章の書き方を徹底的に鍛えられた。編集部には映画好きの人が多く、映画の見方もたたき込まれた。企画も割と自由で、会いたい人に会えばいいといわれ、グラビアアイドルの隣のページに、映画人のインタビューを載せたこともある。

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